今回は、適応障害発症の原因となった「仕事上のストレス」についてのお話です。
適応障害とは
ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。
引用元:厚生労働省 みんなのメンタルヘルス
(中略)
その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。
引用にもありますが、適応障害は原因がはっきりしていることが前提となるため、原因から離れられれば改善します。

私も休職と異動によりストレス因と完全に離れられたので、徐々に改善することができました
でも仕事でのストレスが原因となると、ストレス因から離れることはそう簡単ではないですよね。
今回の内容は、実際に適応障害での休職と異動を体験した、私なりの考察です。
- 適応障害は動悸から始まり、徐々に症状が増えていった
- 発症の原因は、自分では適正を感じない仕事を無理して続けたこと
- 休職&異動を経て、今ではこれで良かったと思えるようになった
- 仕事のストレスと給料を天秤にかけてみよう

適応障害のサイン・症状

始まりは通勤電車での動悸
私は基本的に仕事が好きです。
症状が出る少し前に昇格&昇給があり、それなりにやる気にもなっていましたが、今思うと私はリーダーというよりはプレイヤー気質でした。
30人以上の部下を持ち、日々に売上と利益を上げること、社内の人間関係を修復すること、部下の査定をすること、全てに苦手意識がありつつも必死で頑張っていました。
そんな日々が続くうち、仕事が好きだったはずの私が「仕事に行きたくないな…」と感じるようになりました。
それからしばらく経ったある日、通勤電車が会社の最寄駅から5駅目くらいまで近づいたとき、胸がドキドキし始めました。息が浅くなり、緊張が高まるのを感じました。
自分のデスクから社内を眺めることを辛いと感じた
動悸は毎日続いていましたが、職場には行き続けました。
当時の私は時短勤務でしたが、夕方に会社を出た後も電話やメールを常に気にする必要がありました。
ワンオペで子供の世話をしているのに、部下からトラブったという電話がかかってきて、泣き続ける子供を放置してトラブル対応に追われることもありました。
ある日、自分のデスクで仕事をしているときに、ふと社内を見回したことがあります。

私がしっかりしなければ、ここにいる部下たちの人生が変わってしまうかもしれない。しっかりしなきゃ…
そう感じました。
これも今になって考えると、管理職とはいえ一社員の私がそこまで背負い込む必要なんて無いとわかるのですが、当時の私は判断能力も落ち、全てをネガティブに捉えていました。
私は、さらにプレッシャーにさらされていきます。
その日から、部下の顔を見ることにしんどさを感じるようになりました。
夜中に何度も目が覚める
同じ頃、夜中に何度も目が覚めてしまうようになります。
幸いにも、私は食事をとることはできていたのですが、夜寝られなくなると、いよいよ自分の体調に不安を覚えました。
心療内科での診察でも、毎回「眠れていますか?」「食事はとれていますか?」と聞かれました。
食欲低下や不眠などが2週間以上続く場合は、うつ病と診断される可能性が高いようです。
喉が締まって声が出にくくなる
もう限界かな…と感じていたとき、帰宅途中の電車の中で「喉の詰まり」を感じました。
気道が狭くなり、息がしづらい。
怖くなり、電車を降りてすぐ病院に電話をかけました。が、声がうまく出せない。
パニックになりながらも、「今すぐ受診したい」とお願いし病院に向かいました。
そのまま病院に向かった私に、「適応障害のため即日休職が必要。復職時には業務の軽減が望ましい」という診断書が出されました。
その時「これで休める」とホッとしたのを覚えています。
発症の原因を自分なりに考察

昇進のプレッシャーをストレスに感じるなら向いていないかも
実は昇進が決まった時、上司に「私では無理です」と申し出ました。
キャリアアップを望む社会人の皆さんからしたら、ありえないですよね。
でも、未就学児を3人抱え、時短勤務のまま管理職の業務を全うできるとは、到底思えなかったのです。
上司には「しばらくは大変だと思うけど、お前なら大丈夫だから」と流され、状況は変わりませんでした。

偏見かもしれませんが、その上司には子供がいなかったので、育児と仕事の両立ということのイメージがつきにくかったのかもしれません。
結局「自分には向いていない」と感じながら頑張りましたが、体調を崩してしまいました。
私がやっていた業務は確かに大変なポジションだったと思います。
それでも、同じ業務をプレッシャーに感じることなく、ポジティブに頑張れる人もいるはずです。
私自身、仕事はソツなくこなせる方だと思っていました。
しかし、休職に入る直前にはこう考えていました。
- 仕事がうまくいかないのは全部自分のせい
- 私なんて何の取り柄もない
- 仕事も家事も育児も人並み以下にしかこなせない
- 私はなんてダメな人間なんだ!
適材適所というのは本当に重要だと身をもって知りました。
仕事の愚痴は言ったほうがいい
私は愚痴を言うのも聞くのも好きじゃないです。
働き始めてから、それをポリシーのように愚直に守っていました。
お酒を飲まない私は、同僚やパートナーにも仕事の愚痴を言うことはほとんどありませんでした。

グチってる暇があったら手を動かしたほうがいい!
でも、今になって思い出すと、その意固地な姿勢が症状を悪化させたかもと思います。
愚痴を口に出さずに、真摯に仕事に向き合う姿勢は素晴らしいと、いまでも思っています。
でも、時々気の許せる相手に少しだけ愚痴ってみても、それは良いストレス解消法になってくれるでしょう。
ストレスと給料を天秤にかけてみよう。

ストレスと給料を天秤にかけた時、あなたにとって釣り合いが取れるバランスはどれくらいでしょうか?
シーソーのように、業務上の責任が重くなれば、反対側の給与も上がる。
責任が軽ければ、給与もそこそこというイメージです。
休職前の私は、完全に前者でした。
でも、そこまでの収入が絶対に必要というわけじゃなければ、減給してでもストレスの少ない仕事を選ぶことは一つの手段だと思います。
責任とやりがいはイコールではないからです。
自分のシーソーがどちらかに傾いていると感じるなら、異動や転職、もしくは副業で稼いで本業を軽減するなどを検討してみる価値はありそうです。
自分がやりたいことがよくわからない〜って人は、カウンセリングやコーチングを受けてみるのもおすすめです。
自己理解を深めることで、自分にとって何が重要かが見えてきますよ。

休職&異動後の心境

ストレスは減ったが、現状を受け入れるのに時間がかかった
半年間の休職を経て、リハビリ出勤を開始しました。
初日こそ緊張しましたが、残業もなく、部下もいない新しい部署は、ストレスが少ない働きやすい場所でした。
ストレスは少なくなりましたが、「本当にこれでよかったのか?」「もう少し頑張れたんじゃないか」という思いはなかなか払拭できず…。
減給に関しても、自分で想定していたよりもさらに減額となったため、現状を受け入れるのには時間がかかりました。
資格取得という目標があり、成長を数値化できたのが良かった
新しい部署では専門的な知識が必要でした。
そのため、新部署の上司からは「強制はしないが、業務に役立つから資格を取ってほしい」と言われていました。
復職から4ヶ月後の試験に向け、久しぶりに参考書片手に勉強に励みました。
家では子供たちの世話で勉強どころではなくなってしまうので、週1回は子供たちを夫に任せ、仕事が終わった後〜22時頃までファミレスで勉強していました。
協力してくれた夫には感謝しかありません。
無事資格も取得でき、今は実務も色々と任せられています。
以前に比べたら業務量も余裕があり、何より帰宅後や休日に仕事の電話が鳴ることもなくなり、精神的にはかなり楽になりました。
減給については、老後までのキャッシュフローを試算したことで納得できた
最後までモヤモヤしていたは減給についてです。
世帯収入の7割近くを私の収入で賄っていたので、これから生活していけるのか?教育資金や老後資金は足りるのか?と考えれば考えるほど不安でした。
そこで、70歳までのキャッシュフローを作成してみました。
住宅ローンが残り少なかったのもあり、資産運用と組み合わせればなんとか乗り切れそうだということがわかり、やっと少し安心できました。

減給してしまったけど、それでも生活費が賄えるなら、ストレスの少ない部署に異動できたことはラッキーだったと思えるようになりました。
まとめ
- 適応障害は動悸から始まり、徐々に症状が増えていった
- 発症の原因は、自分では適正を感じない仕事を無理して続けたこと
- 休職&異動を経て、今ではこれで良かったと思えるようになった
- 仕事のストレスと給料を天秤にかけてみよう
私の体験が全ての人に当てはまるわけではありませんが、いまつらい思いをしている人、これから復職や転職を控えている人に、少しでも考えるヒントになったら嬉しいです。

異動先は未経験の部署ですが、これまでの経験が活かせる場面が意外とあります。
頑張ってきた経験は必ず活きてきます!時には流れに身を任せてみても良いかもですよ♪
それでは!
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